経緯
2003年8月4日 | 埼玉コリアフェスティバル・今よみがえる朝鮮通信使実行委員会発表会呼びかけ人となる |
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2003年12月19日 | わらび座「つばめ」公演支援 埼玉会館大ホール |
2005年11月13日 | 第1回「朝鮮通信使川越唐人揃い」パレード開催 |
2007年11月29日 | 日光市今市杉並木公園内「朝鮮通信使今市客館跡碑」建立実行委員 創立総会・顧問となる |
2007年12月16日 | 朝鮮通信使今市客館跡記念碑竣工式 日光東照宮客殿にてのシンポジュウムのパネラーとなる |
2010年11月14日 | 朝鮮通信使正使「第6回朝鮮通信使川越唐人揃い」パレード |
2017年10月31日 | ユネスコ「朝鮮通信使」世界記憶遺産登録される |
わらび座「つばめ」公演
朝鮮通信使今市客館跡碑建立実行委員会 設立趣意書
朝鮮通信使の歴史は古く、1375年足利義満によって派遣された日本国書に対する返礼が始まりとされている。その後秀吉の朝鮮出兵などがあったが、徳川家康公によって天下統 一が成し遂げられた江戸時代に入ってからも、この関係は連綿と続いた。その間にあって 徳川家光の時代と家綱の時代に、朝鮮通信使は日光東照宮に三度訪れている。
第1 回は、東照宮が現在の社殿に作りかえられた寛永13 年(1636) に3 代将軍家光か ら「日光遊覧」に招待された。
第2 回は、寛永20 年(1643) 、幕府から、東照宮に国王親筆や銅鐘、香炉、燭台、花瓶 (青銅製三具足)等を寄進し、朝鮮式祭儀で拝礼してほしい旨要請された。
第3回は、明暦元年(1655)は東照宮に拝礼し、家光廟の大猷院に国王親筆や燈籠・楽器類を寄進し、朝鮮式祭儀で拝礼してほしい旨、正式に要請された。
朝鮮通信使の日光訪問はこの3 回であり、何れも将軍社参並みの扱いを受け、盛大な行列立てをし日光に参詣しているが、それほどまでの一大行事であったにも拘わらず、現在 日光街道の道筋では朝鮮通信使が往来した事は殆ど知られておらず。3回の通信使の日記 にも宿舎が特定できるような具体的な記述はない。
只現在、その宿舎に関しては、今市に「唐人小屋」という字名が残っているため、場所 だけは特定出来ている。この場所は国の特別史跡・特別天然記念物の指定を受けている「日光杉並木」に隣接する「杉並木公園」の一角であり、2005 年、市によってここにアルミ板 の「朝鮮通信使今市客館跡」の説明板が立てられた。 「今市客館」は普請奉行が任命され「朝鮮通信使」の宿泊の為のみに臨時に建てられた施 設であるが、費用一万両をかけ、吟味した材木を江戸より運んで念入I) に造られた建造物 である。 そこで、一昨年は「日韓国交正常化如周年」を迎え、「日韓友情年2005」として、日韓各地で多彩な事業や交流が行われた。本年は第1回の朝鮮通信使(回答兼刷還使)が慶長 12年(1607) に来日して400年になり、当地においても「朝鮮通信使」が日本において 公式行事を行った場所が唯一残る日光東照宮・大猷院の玄関ロであり、通信使ゆかりのこの地に「碑」を建てて、日韓両国民の更なる相互理解と友情を深めることを目指したく、 一昨年より準備に入っていた「朝鮮通信使今市客館跡碑」建立委員会を設立致したく、趣 旨ご理解の上ご賛同賜りたく、よろしくお願い申し上げる次第である。
以上
役員(抜粋)
第6回朝鮮通信使川越唐人揃い
朝鮮通信使正使を務める