概要
会期 2019.11.11(月)─11.29(金)
会場:東京銀座 秀友画廊にて
祈りの美術・河正雄「世開」展について
光州立美術館名誉館長 河正雄
―夢は実る―
小学生時代は教師になりたかった。担任の先生の優しさに触れ、教師という職業に憧れを抱いたからだ。
中学生時代には新聞記者か弁護士になりたかった。担任の先生が慈悲心と勇猛心を説かれ、弱い者に味方する正義感を持ったからだ。
高校時代は下に四人の妹弟がおり、貧しい家庭を助ける為に一流会社に就職する一念であったが叶う事は無く切羽詰まり小学生時代から描く絵を褒められた事で画家になろうと考えた。
しかし母が絵描きは金にならない、狂人がやる事だと言って猛反対した。こうして少年期に抱いた夢や希望は悉く挫折したのが私の青春である。
夢幻に月日は過ぎ去り、満80歳になる2019年初頭、これまで私を育み愛してくれた人々に何か感謝の意を示したいと考え、そうだ絵を描いて贈ろうと思い立ち絵筆を走らせ始めた。
3月に入り秋田県横手市のイズミヤ印刷社長泉谷好子さんが秀友画廊のオーナー浅野恵巳さんを紹介された。40数年間銀座で画廊を経営されており、尊敬する針生一郎先生との親交や、私と縁故ある美術家の育成支援している事を知り美術世界を共有していたので、親近感を抱いた。
唐突に「あなたの個展を、この秋に私の画廊で開きたい。」と話された。私は絵をコレクションして韓日の美術館に寄贈する人生を長く歩んで来たが、これまで自身の作品の個展を商業画廊で開催するなど考えた事も無かったので大変驚いてしまった。
10月まで迷いに迷い、返事をする事が出来なかった。しかし不自由な身体で幾度も来宅された浅野さんの誠意と熱意に応えるのが礼儀であると考え、開催に至った。
全てをお任せし、一切を委ねる事となった他力本願の個展である。老年期に入り少年期に抱いた夢が叶ったのだと思おうと、出会いは感動があり、人生の冥利があるものと感無量の想いである。
―油彩画「世開」 ―
中川伊作(1899年-2000年)との出会いは1977年4月である。私は夏風邪が元でその2、3年前から体調を崩し寝込むようになっていた。
余り寝込んでいても、逆に体に障ると思い何のあてもなく新宿の伊勢丹に入ったところ、中川伊作南蛮展が開かれていた。初めての陶芸展と聞いたがそのユニークさが私の気を引いた。飄々とした縄文花器や水差し、茶碗の骨太な美意識は日本人離れした感覚であった。
沖縄の自然と伝統の出会いを讃歌しているようであり、南蛮焼のルーツを見たようであった。その大地と宇宙の悠久を讃えた風雅な世界。“間と遊び”のデフォルメの中には、童心をくすぐり上質な味わいに感性があった。
新羅の土器やインカ、ラテンの土俗的な陶磁の源流をも見た。インターナショナルなセンスと現代性、日本的なわびさびの精神性が見事に融合されていた。多様な表現を見せられて、私は体調の悪さを忘れてその世界で遊んだ。
まもなく店員が中川先生を紹介された。愛くるしくお茶目なクルリとした可愛い眼が作品にそのまま投影され、作品そのままの人であると思った。
1980年7月に入り中川先生から「年端も行かないのに体が悪いのは良くない。気晴らしに京都に遊びに来ないかい。」と招待状が届いた。それは哲学の道にある叶匠寿庵での七夕のお茶会の誘いであった。その茶会のあと大徳寺の茶室で一服し、そして竜安寺へ知人の病気見舞いに行こうと案内された。
木下玄隆59代住職の案内で、床に伏していた松倉紹英(1983年没)58代前住職と出会った。ノーベル賞の湯川秀樹御夫妻、片山哲首相と共に写っている写真を下さり、幼い頃からの竹馬の友であると紹介された。
中川先生からの慰問の挨拶受け終えられた松倉前住職は手招きで私を枕元に呼び寄せた。
唐突に「右手を見せてごらん」と私の手を握り「良い手だね」と言いながら、続けて「左手も見せてごらん」と見た後に、「君の手は両手いっぱいの宝を握っている良い手である。これからは片手は開き、空けておきなさい。」と話された。
私が、その意を解せずにいたところ、「片手を空けておけば転んだ時など有事には、その手で身を支え守る事が出来る。また空けておけば今握っている以上の宝を握る事が出来る。片手を交互に空けては握る事により、末は素晴らしい人生となる。」そして「最後は両手を開いて天国に行くんだよ。」と諭された。
私は「社会に奉仕する人間になれ、片手は自己を守り立て、片手は社会に向け世の為の人になり働け。そして両手の全ては、この社会の為に使い尽くしなさい。」と学んだ。
この絵の題である「世開」は、私の人生哲学であり処世術を表した「世界」である。この絵を見た方々の手に握られた、もしくはこれから手に握る「何か」が素晴らしいものであり、世界との繋がりを握りしめるものである事を祈念している。
―至福―
銀座の画廊での企画展は美術芸術家や愛好家達の憧れである。通常、会期は1週間程なのが通例だが、3週間にも渡る展示会は異例とも言える特別なものである。よって美術愛好家達の好奇心を満たす展示会となった。
会期中、お越し下さった方々の感想は、それぞれであるが先ず一様に「これが絵なのか?」という疑問と驚きであった事に私自身、驚きを覚えた。
穴が開くほど丁寧に一点一点見られた川口市の伊藤志郎さんは「このような絵は見た事がありません。5本の高層ビルディングとも見る事が出来る。今度は握り拳かなと考えながら見ていたら、どうも開いた掌であり…」という具合に絵との対話を楽しんでくれていたようだ。
日本美術協会会員の堀内俊二さんは「中央に描かれた主題は5つの韓国にある有名な山(五山)かと思いました。がっちり構えた山々に草花が乱れ、鳩が舞い平和を祈念していました。」
フランス語で話されたハイチの女優さんとコスタリカの方は会場に入るなり「これは手で平和の絵ですね!」述べられた時、国や民族の違いなどを越える共有する世界があるのだと確信した。
京都市の坂東滋巳さんは「私には、もう一つの隠れた手の存在を感じます。それは“私はあなたと共にいる”という神(インマヌエル)の第三の手です。その手の存在は私たち人間には見えませんが、隠れた所から私達の存在を包み、守り支えて下さっています。その御手の存在を覚え感謝して歩む時、世界はいつも『世開』に変わって来るのだと思います。」
「世開」は私の造語で辞典にも文献にもない言葉である。その造語を言霊のように表現され震えた。
磯崎新設計事務所でお仕事をされた杉並建築会副代表堀正人さんは「これは曼荼羅ですね。曼荼羅の宇宙観を覚えます。」と話された時は万感の思いが込み上げて来た。敢えて宗教を表現した絵ではないが、曼荼羅の宇宙観をイメージして描いたことは嘘偽りなかったからである。
絵は色、形、線を見て自他の境涯や人生観を見る。内面との対話を通じて共有する美的感情が湧いて、一言で言うならば「好き」か「嫌い」を感ずれば十分であると思う。
幾人からか作品を見て購入したいという申し出を戴いた。現世で現金を手から手から放す(開く)からには、その想いに感動があったからと、その幸いを信じたい。
私が開いた手から飛び立った絵が、何かしらの形で世を開く思索と感情、祈りを引き出す一助になれば至福である。
新聞記事
59代木下玄隆 竜安寺住職(1980.7.7) 竜安寺 2020.12.2 竜安寺 2014.6.20 竜安寺 2014.6.20
動画(オープン初日)
ギャラリー
関連:美術展開催記録(旅の途中展)