白磁の人・浅川巧
文:河正雄

ソウル特別市が管理する京畿道九里市忘憂里公園墓地には、南北分断による不遇の画家大郷・李仲燮(1916年~1956年)が眠っている。李仲燮は韓国美術史で評価が高い現代洋画家である。墓地には張徳秀、韓龍雲、文一平、呉世昌等独立の韓国近現代史を刻む著名な人士の墓がある。その近隣に韓国人に愛慕され守られている日本人・浅川巧の墓がある。

 浅川巧(1891年~1931年)は、山梨県北杜市高根町に生まれた。県立農林学校卒業後、四年余り秋田県大館営林署で農林技師として務めたが、兄伯教と前後して朝鮮に渡る。農林技手として植林緑化の普及に努める傍ら、失われようとする朝鮮の美の発掘に貢献した。植民地化にあった朝鮮に生き愛された稀有の日本人である。20年前までは浅川巧の生地北杜市すら彼の事は知られていなかった。

秋田の高校時代に知った事から、浅川巧は私が在日として生きる為の人生哲学を学んだ敬愛する日本人の一人である。人間誰でも自分だけの隠し田を持ちたがるものだが、韓国人と向き合った浅川巧は隠し田など一切持たなかった。

 自分のルーツが高句麗人だと思っていた浅川巧は高句麗人の血が故郷の韓国へと、私を呼んでいると告白した事でも愛の深さがわかる。歴史的に難しい時代に、故郷でも受ける苦難を自分の生涯と代わる愛の対象としたが、時代は違えども在日二世の私には、理解共感する世界である。

 浅川巧の名著「朝鮮陶磁器名考」(1931年刊)の末尾に「民衆が目覚めて、自ら生み、自ら育ててゆくところに全ての幸福があると信じる」の文は、その愛の証である。朝鮮松の露天理蔵法による種子の発芽、養苗開発など、その業績は光る。朝鮮民族美術館建設の推進、朝鮮陶磁器や工芸の研究、朝鮮の膳などの工芸美を考察、韓民族の美意識と魂を民芸と植林の領域で我々の自尊心を高めてくれた。

 日本民芸館の創立者柳宗悦(1889年~1961年)は「朝鮮陶磁器名考」の序に「どんな著書も多かれ少なかれ先人の著書に負うものである。だが此著書ぐらい、自分に於いて企てられ、又成された物は少ない」と記した。「柳宗悦の民芸運動は朝鮮の日常雑器によってひらかれた眼を、日本に転じる所から生まれた。日本の民芸運動の誕生の機縁となったこの結びつきを作った人に柳の友人としての浅川伯教、巧兄弟があった」と哲学者鶴見俊輔が述べている。

 江宮隆之著「白磁の人」(1994年刊)の映画化が話題となって数年となる。紆余曲折はあったが、浅川巧生誕120年・没後80年の記念年にあたる2011年完成上映を目指し計画されている。韓日両国の若人達や、浅川巧が勤務していた林業研究院の職員達も関心が薄く、知られていない存在を憂える人々がいる。この映画上映を通して、青少年達に韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人浅川巧の時代を振り返り、我々の未来に福音をもたらす果実は何であるのか、省察を込め、期待を寄せている。

善き追憶を辿り、先人の徳を慕い回顧する事は、国際親善の糧となる意味が深い。


浅川巧の生涯を描く「白磁の人」映画化

朝鮮が日本によって植民地とされた時代、朝鮮美術を愛し、その保存と民衆同士の友好に尽力した浅川巧の生涯を描く映画『白磁の人』が、制作されることになった。
3月14日に浅川巧の出身地である山梨県で制作発表が行われた後、撮影に着手する。公開は来年を予定している。

県立神奈川近代文学館「道・白磁の人」上映会に寄せて

昨年来の鬱陶しかったコロナウイルス第5波の緊急事態宣言も解除され少しホッとした善き日に、浅川巧生誕130周年没後90周年を記念して「道・白磁の人」の映画上映会が開かれますこと誠に喜ばしく思います。

2009年、私はこの映画の制作委員会立ち上げの段階から相談役としてお手伝いを致しました。完成に至るまでには山あり谷ありで中止の危機もありましたが、2012年に韓日の制作委員会は英知を傾けて、試写会に漕ぎ着け大きな感動を呼びました。

私は2006年より浅川伯教・巧兄弟を顕彰する私塾・清里銀河塾を開講して参りました。この映画の完成により講座の重要な科目として上映を続け大きな力を受けました。

よって、この映画は13回も観て参りましたが回を重ねる毎に前に気付かなかった浅川巧の心、新しい世界を発見して学んで参りました。総合芸術である映画から新たに甦る自分をいつも発見します。

本日は皆様と共に、映画「道・白磁の人」浅川巧の生き様から韓日友好の哲学を学ぶことを楽しみにしております。

善き出会いを下さった主催者、関係者の皆様に感謝を申し上げますと共に、温故知新、古きを温ねて新しきを知る上映会になりますことを祈念致します。

2021年10月3日

河正雄