経緯
1991年6月1日 | 韓国養材会奨学金基金(ソウル)計1000万ウォン |
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2002年4月20日 | 仙台市・光州広域市姉妹都市提携調印式 |
2016年6月30日 | 韓国光州市立交響楽団創立40周年記念日本公演支援寄付金100万円 |
韓国養材会奨学金基金
仙台市・光州広域市姉妹都市提携調印式 (2002年4月20日)
光州広域市と仙台市との友好都市締結の経緯
宮城県仙台第二高等学校校長の仁科博之先生との出会いは秋田工業高校校長の恩師松田幸雄先生の紹介である。
日韓の高校野球交流試合が甲子園大会終了後、隔年毎に日韓で開催されており、その年は仙台と秋田で執り行われることとなった。私は両国の仲立ち役を務める高野連の行事であった。
この出会いから1994年11月7日、仁科先生は「貴方と友人になれたことを誇りに思い、私の残された人生において更なる良き友人となれることを願って。」と自伝の著書を下さった。
1995年、光州広域市姜雲太市長より「日本の都市との友好都市関係を締結したいので紹介、仲立ちをお願いしたい。」との要請があった。
私はすぐに仁科先生に相談し、仙台市を紹介した。中学時代の修学旅行で仙台市が文化学術都市である事を知っており、光州市は文化芸術の都市として知られる事で良縁だと思ったからである。また仁科先生と藤井黎仙台市長とは仙台二高の同窓生という関係だと知ったからである。
仁科先生を通して話を進めたところ仙台市は他の都市との関係もあり、すぐには難しいとの事だった。縁はなかったのかと危ぶんだ時期もあったが、紆余曲折の末に両国市民の熱情が実り、2002年4月20日、良き友好都市関係を結べたことは何よりの喜びである。
秋田大会 1987年8月29日 左:金宗太韓国団長 中央:恩師松田幸雄先生仁科博之先生宅訪問 姉妹都市要請 1995年