田沢湖畔に姫観音が建立されたのは私が生まれた1939(昭和14)年11月のことである。その姫観音像に刻まれている碑文の主旨は玉川の毒水が田沢湖に入り込んだ為、死滅した魚と湖神・辰子姫の霊を慰めるというものであった。

田沢湖町観光課は1981(昭和56)年に荒れ果て放置された姫観音像の周りを整地し姫観音の由来を解説した掲示板を掲げた。

下記がその案内文である。

「姫観音像いにしえ、辰子とよぶ村の乙女が、永遠にかわらぬ美しさと若さを保ちたいと大蔵山の観音に祈った。
満願の日、俄かに山は砕け水をたたえた精澄な湖が成りて女は蛇体に変じて湖の主になりたまふた。
それより村の人は、姫をあがめ、湖水の清浄を守り伝えて来た。
しかるに昭和十四年に東北地方振興のため、仙北平野の開拓と水力発電に田沢湖を活用する事になり、湖水が大きな変化を受ける事になった。
ここにほろびゆく魚族と湖神辰子姫の霊を慰めるため浄財を集めて、姫観音を建立した。
みほとけよ、願おくは大いなる恵みを垂れたまわんことを。
昭和十四年十一月槎湖仏教会田沢湖町」

それまで町史や観光案内書等の資料には建立由来の記録は見当たらず知られない秘められた観音様であった。町の田沢湖観光の名所として紹介された事で公になった。

1985年から町の高橋福治観光課長ら有志により、姫観音供養祭が執行される様になった。その開催動機は田沢湖に投身自殺者が余りにも多いので、その慰霊と訪れる観光客の安全を祈祷する為という理由であったが私は疑念を抱いた。

碑文と掲示板の字句から考察すると、姫観音建立の主旨を取り違えている事と供養祭そのものが観光に利用する当て付け様に感ぜられたからだ。姫観音が建立された歴史的背景を知る私には姫観音像に刻まれた文と掲示板の美文に私は納得する事が出来なかった。

戦時下、1938年から40年にかけて田沢湖をダム湖とした国策によって行われた先達、田沢湖、生保内、夏瀬発電所建設。それに係わる謎道掘削工事は、玉川と先達から二つの導水路、そして田沢湖畔田子の木から生保内発電所への導水路が掘られ2年間の突貫工事で進められた。

寒冷と過酷な労働、食糧不足と発破や落盤事故などで多数の犠牲者があった。その中には徴用法による強制労働に従事していた朝鮮人も含まれていた。

田沢寺に眠る朝鮮人無縁仏と姫観音の建立趣旨書を発見(1991・6・21)した事により、姫観音は当時の工事犠牲者を慰霊するために建立された事を裏付け史実を私は明らかした。

1998年には先達発電所工事に関わる徴用者307名の名簿(1946年厚生省「朝鮮人労働者に関する調査」秋田県覚書)が公開された。

その文書により先達発電所で働いていた人で私の父母の故郷韓国全羅南道霊岩郡三湖里に生存している事を確認し証言を得た。そして夏瀬ダム発電所工事は徴用された生存者が横須賀市に住んでいる事も判明、生きた証言が得られた。

その結果姫観音像に関わる建立主旨の疑問は大方解けた。私の告発が虚言でない事の証明が公に出来た。私は1990年より2015年までに田沢湖町民らと共に姫観音の慰霊祭、そして田沢湖の朝鮮人無縁仏供養会を2015年までに11回行って来た。

私の願いは姫観音前の掲示板解説を補追記し「姫観音は戦争中の発電所工事による犠牲者を慰霊する観音様である」旨の史実を明記して欲しい事だ。このままでは霊は休まらない。その御霊を慰める心に国の違いなどはないと私は思う。

姫観音慰霊祭(1991.9.22 )

小説・姫観音像(藤原一太:著)